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Japanese Muslims

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良い行いと預言者さま(祝福と平安を)を真似ること

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛は、慈愛に溢れ慈悲深いアッラーのもの。アッラーの御使い、その一家と教友たちに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、イスラームが求める到達点とは、人類に対してアッラーが示しておられる正しい道を極めることであり、人間相互の間の人としての正しい道の確立と実践である。 アッラーは、クルアーン・婦人章において次のように述べておられる。 “アッラーに仕えなさい。何ものをもアッラーに併置してはならない。父母に親切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道連れの仲間や旅人、及びお前たちの右手が所有する者に。アッラーは、高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。」(4章36節) 良い行いは、アッラーから課されている人としての義務と、人間相互間の義務を果たす為の基礎である。良い行いは、アッラーの御目にとって位階を一段高めて下され、悪事を拭い消して下される為の要素になるものである。アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)が次のように語るのを聞いたと述べている。「信仰心の篤い者は、自分の良い行いによって、任意の断食斎戒を沢山行い、夜半の任意の礼拝を行う者が得る報酬と同等のものを得る。」「良い行い以上に、審判の日にアッラーのしもべの秤をより重くするものは無い。誠、アッラーは行いに欠けた者を御好みではない。」   善良な人も悪意に満ちた人も、良い行いから利益を得るが、一方信仰しない者にとっては、その者の良い行いは現世だけでの利益となるに過ぎないだろう。 アッラーはその者に現世でのみ良い行いに対する報酬を与えられるが、彼は終末の日には何も得られない。アイシャさま(平安を)は、次のように述べている。「『アッラーの御使いさまよ! アブドゥッラー・ビン・ジャダーンについてどうお考えですか。彼は来訪者をもてなし、貧な 者の世話をし、困っている人々を助けています。』預言者さま(祝福と平安を)はお答えになった。『残念ながら、彼は信者では無いから、一度として自分が犯した悪事について最後の審判の日に御赦し下さる様に主に願ったことは無かった。』」 アッラーは、クルアーン・家畜章において次のように述べておられる。 “…また、公然とでも、隠れてでも醜いことに近付いてはならない。…」(6章 151節)預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「良い行いを続けてきた者の為に、私は天国の最上の安息所を保証する者である。」  アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)が次のように語られたと述べている。「親切が人の良い行いを飾らずにはおか ないものです。親切に欠けたものは、その行いを台無しにしてしまいます。」  善良(ビッル) と悪徳(イスム)について預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる「ナッワ ース・ビン・サムアーヌ・アンサーリーは次のように伝えている。私はアッラーの使徒に善良(ビッル)と悪徳(イスム)について尋ねました。すると次のように答えられました。善良(ビ ッル)とは親切で思いやりのある心に宿っているものです。そして悪徳(イスム)とはあなたの胸を疑惑と罪の意識による恐怖でかきみだすもので、どうしても他人にはそれを知られまいとするものです。」 良い行いは、人々や他の集団を幸福にします。良い行いは、アッラーの御目にとって向上と高い 位階を暗示するに足るものです。良い行いは、他の者たちによって愛される原因の一つです。良い行いは、心に安心を、物事に容易さを、そして人々の称賛を勝ち取り、その結果は終末の日に おける成功を意味します。それに対して、悪い行いは、呪いを生み、幸福を台無しにし、人々の憎しみを生み、墓では闇を作り、現世でも来世でも不幸を生む。 信者たちよ、立派な性質を持った正しい先人と競いなさい。アッラーはその事を御言葉をもって明確にしておられ、即ち、クルアーン・勝利章において次のように述べておられる。 “ムハムマドは、アッラーの使徒である。彼と共にいる者は不信心の者に対しては強く、挫けず、お互いの間では優しく親切である。お前は、彼らがルクウしサジダして、アッラーからの恩恵と御満悦を求めるのを見るだろう。…」(48章 29節) 教友たちの誰も(平安を)が、立派な性質を持ち、互いに良い交友関係にあり、自分にとって重要ではない事柄に心を引かれることなどない、自分たちの集団の中にあってそうした一人であった。 それはそうとして、高貴な性質とあらゆる立派な特性についての基準となる特筆すべき例があるとすれば、それはアッラーの御使い(祝福と平安を)の存在と、その振る舞いである。アッラーは、その事が確かな事であるとして、クルアーン・部族連合章において次のように述べておられる。“誠、アッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(33章主、アッラーは、最良の可能な方法をもって御使い(祝福と平安を)を清め、それで御使い(祝 福と平安を)は、徐々に社会を変える為の影響を自らの社会に及ぼし、社会の一人一人には立派な性質を持つ為の教えを植え付けられた。この事について、預言者さま(祝福と平安を)は、「私は、完全に良い指揮を行うようにと遣わされただけである。」と述べておられる。アッラーは、自らの御使いを大いに褒め称え、クルアーン・筆章において次のように述べておられる。 「誠、あなたは崇高な特性を備えている。」(68章 4節) アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)の性質について聞かれ、「クルアーンが、預言者さま(祝福と平安を)の性質に当てはまります。」と述べている。 信者たちよ、何はともあれ、信仰にしっかりと密着し、アッラーがあなたたちに可能となされる限り最大限に預言者さま(祝福と平安を)の教えを守り、良い導きをお手本とし、預言者さま(祝福と平安を)を真似ようとしなさい。教えの一部たりとも変えることなく、心から預言者さま(祝福と平安を)の道とスンナに従いなさい。アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において次のように述べておられる。 「言ってやるがいい。『あなた方がもしアッラーを敬愛するならば、私に従いなさい。そうすればアッラーもあなた方を愛され、あなた方の罪を赦される。アッラーは、寛容にして慈悲深くあられる。』」(3章 31節)

マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ ――信者の良い行いと、得られる徳――

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ ――信者の良い行いと、得られる徳―― あらゆる称賛は、万有の主アッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、本日のホトバは、信者の良い行いと、それにより得られる徳についてである。 預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「誰でも信者を日頃の悲嘆を取り 除いて上げる者から、アッラーは審判の日の悲嘆の一つを取り除いて下されるだろう。また、誰 でも難局に出遭う者の難局を軽くして上げる者から、アッラーは現世と来世における難局を軽く して下されるだろう。誰でもムスリムを庇って上げる者を、アッラーは現世と来世で庇って下 されるだろう。しもべが兄弟たちを手助けして上げる限りは、アッラーはその者を手助けして 下される。誰でも正しい道についての知識を求め、その道に従う者に対し、アッラーは天国への 道を容易にして下されるだろう。人々がアッラーの書クルアーンを読誦し、それを互いに学ぶ為 にアッラーの家マスジドの一つに集まるならば、彼らには必ず、サキーナ(平穏)が訪れ、祝福 に包まれ、天使たちが取り巻く。そしてアッラーはアッラーと共にある者の中にそれについて言 及する。」  これは、イスラームの原理、知識、良い作法に関する種々の事柄に亘る重要なハデ ィースであり、そこにムスリムに必要な徳について見いだされ、知識、財産、援助等の正しい扱 い方についての助言を見いだす。そして「難局を軽くして上げる」の意味は、難局を取り除いて 上げることであり、貧困を取り除く事が含まれる。 預言者さま(祝福と平安を)の「誰でもムスリムを庇って上げる者を」と言う言葉について、こ こで「庇う」は過ちを隠す事を意味し、ここで意図される意味は、正直で敬虔な人の過失を、そ して悪事の行為者が誰であるかを隠して上げることである。そしてこれは、過去に犯した過ぎ去 った悪事を隠すこということである。一方、今悪事を犯しているのを見付けたなら、悪事を犯 す者をさとし、そうしないようにと禁じるのが義務である。もしもそれが困難で、その者に悪 びれが無いならば然るべき筋にこの問題をもってゆくべきである。即ち、この様な場合の正しい 行動とは、彼らを庇うということではない。なぜなら庇えば、もっと悪いことを犯すのをそその かし、更なる危害の原因となり、もっといけないものに嵌り、同様の悪事を他人が犯すのを助長 するおそれがあるからである。彼がそれを犯しこの先同様の悪事を犯すことを恐れない様なら、 指導的地位にある者に訴え出ることが望まれる。これに当てはまるものには、喜捨と寄付などの 財産の配分に与る立ち会いと人と受託者、孤児の財産を管理する者などの例があり、彼らが犯す 悪事については、それを晒し出すのが義務的な行為である。そうした責められるべきものを目に したなら、これらの悪事を隠すことは許されない。これは禁じられている行為である非難する事 には当たらず、むしろ義務的な協力的な行いに属するのである。預言者さま(祝福と平安を)の 「しもべが兄弟たちを手助けして上げる限りは」と言う言葉について、これは一般的な概念であ り、解説をするなら、アッラーのしもべがムスリムの兄弟に警告する事で手を差し延べ解決の手 助けをする場合を含むもので、それ故にその間、真実を語る事に臆さない様に要求されるもの で、アッラーはそのしもべを助け、それによるどんなしっぺ返しからも彼を守って下されるに違 いないであろうと言うことである。 また、このハディースにおいて、ムスリムの要求を満たし、知識を求める道に励むことの徳につ いて述べられ、ここには知識を得ることに心を奪われる事による徳が含まれている。ここで指し 示す知識とは、シャリーア(イスラーム法)の知識のことである。その全ては、あらゆる崇拝行 為においてアッラーに向かおうとする者に必要な事柄である。預言者さま(祝福と平安を)の 「人々がアッラーの書クルアーンを読誦し、それを互いに学ぶ為にアッラーの家マスジドの一 つに集まるならば」と言う言葉については、クルアーンを読誦する為にマスジドに集まることの 徳についての証がある。ここでのサキーナと言う言葉については、或る学者は祝福であると解釈 するが、このハディースの次の部分に祝福と別個に述べられており、ここでの解釈としては、静 穏とか平和や荘重とかが似つかわしい。「集まる彼らには必ず」と言う言葉は、この為に集まる 「誰でも」という、不特定の一般の者の事であり、述べられている通りにあらゆる徳を受け取る ということである。預言者さま(祝福と平安を)は、ここで言う人とは、学者、禁欲者、高い地 位に有る者とかを想定しているものではない。次の、「天使たちが彼らを取り巻く」について は、これに似た事に関して、アッラーはクルアーン・集団章において次のように述べておられ る。 「お前たちは見るであろう。天使たちが八方から(アッラーの)玉座を囲んで…」(39章 75節) 天使はあらゆる向きから囲むであろうと言うことであり、天使は彼らの近くにありながら完全に 円く囲み悪魔が近付かない様に隙間の無い状態を作るのである。預言者さま(祝福と平安を)の 「祝福に包まれ」と言う言葉について、「包む」という言葉は、包もうとする対象の全ての部分 …

マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ 要約 (2011年2月4日) ――立派な人物の為の四つの柱、忍耐、清純、勇気、公正――

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛は、萬養育の主アッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、本日のホトバは、立派な人物である為に欠かせない四つの大事な柱についてである。それは、 サブル忍耐、イッファ清純、シュジャアア勇気、アディル公正の四つである。 忍耐は、人を寛大にし、人から受ける危害に耐え、我慢をもたらし、判断に際し慎重と思慮を生む。また忍耐は、人を穏やかで、短気ではないものにしてくれる。 清純は、言葉や行動の両方からあらゆる軽率さを取り除き、あらゆる良いものの縮図である謙遜や高潔な情感を人にもたらす。また清純は、人々の不仲や仲違いの原因となる私通、けち、嘘、陰口、中傷などの悪に染まらないようにしてくれる。 勇気は、自己尊厳を保ち、高潔で高貴な振る舞いを確かなものにし、生まれ持った性癖から引き離してくれる。また勇気は、本質において誠の勇気である努力し物惜しみしないように人を引き上げ、強い意志と自己決断力を持つように導いてくれる。勇気は、詰まらない欲求に熱中するのを抑え、怒りを抑制し、暴力的で破壊的な行為にとり手綱やあぶみの様な役目によって短気を抑え、それで辛抱強くなるのを助長する。「力強いとは、相手を倒すことではありません。真に力強いとは、怒って当然というときに、心を自制する力を持っていることです。」と、預言者さま(祝福と平安を)が述べておられる様に、自分の感情を抑えることこそ誠の勇気であり、敵を征服するのに役立つ唯一つのもの、それがが勇気である。 公正は、人に対する振る舞いが公平である様に方向付け、消極的であるのと過激であるのとの両極端を均等なものに導く。また公正は、絶対的な消極性と傲慢との間の道である寛容で親切である様に人を導き、臆病と図々しいとの間の道である勇敢であるように人を方向付け、また、過剰な無益な怒りや極端な恥の意識の間の道である辛抱強さを助長する。 これら4つの事柄は、高貴な行いの中心軸であり起源であるが、一方で、それに相反する恥ずべき事柄の基盤は次の四つの柱の上に置かれる。それは、ヤール無知、ドゥルム抑圧、シャーワ強欲、ガダブ怒りである。 無知は、人に悪事の状態を好ましいものに、良い状態を悪事に、完全なものを不完全であるかの様に、不完全であるものを完全であるかの様に思い込ませる。 抑圧は、適切ではないところに物事を配する様に人を仕向ける。それで、幸せであるべき時に怒り、怒るべき時に幸せを感じさせ、暢気で良いのに無謀で短気であり、急ぐときに暢気であるようにさせる。気前が良くあるべき時にけちであり、倹約すべき時に気前が良く、勇敢であって重荷を引き受けるべき時に引っ込み思案であり、他の誰かが先鋒を請け負い後陣にあるべき時に重荷を引き受けようとし、厳しく断固とすべき時に優柔不断であり、優しくあるべき時に厳しく、積極的であるべき時に控えめで、控えめであるべき時に積極的である様にさせるものである。 強欲は、心がおもむくままに熱中するのを、けちで貪欲であることを達成させようと助長する。また強欲は、あらゆる卑劣な恥知らずなものでもって自分を飾り付けるのを助長するものである。 怒りは、人を傲慢で嫉妬深い様に先導し、他人を敵とし、恥知らずである様にと仕向ける。 これら4つの厭わしい非難されるべき特性の根底には二本の柱、即ち極端な恥の意識と極端な傲慢とがあるのである。 アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。 アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。 アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。 アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。 アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。 アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

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