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Japanese Muslims

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預言者ムハムマド(祝福と平安を)への愛について

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛と感謝はアッラーのもの。信者たちよ、本日のホトバは、我々のお手本で最愛の指導者であられるムハムマド(祝福と平安を)に対する我々の心からの愛についてである。 預言者さま(祝福と平安を)を囲んで指導を受ける教友たちの会に、口の悪い仲間の一人が紛れ込んだことがある。その者は仲間たちの許に戻り、仲間たちから何を見聞きしたかを問われ次の様に答えたと言う。ローマの皇帝カエサルとペルシャの皇帝キスラについて、また人民がこれら皇帝に注ぐ敬意と称賛については皆も知っての通りであるが、だが最も敬意と称賛を払われている人物がムハムマドであるのをこの目で見た。ムハムマドの教友たちは、喩え一羽の小鳥が頭に止まっても全く動ずることなく教えに聞き入っているという有様で、師の髪の毛が落ちれば、それからの恩恵に与りたいと、一本残らず拾い集めたものである。 預言者ムハムマド(祝福と平安を)が率いるマディナ軍が大敗したウフドの戦いでは、預言者さま(祝福と平安を)が戦死されたとの噂が流れたが、その時の事が次のように語られている。信者たちは噂を聞きつけたものだから心配で落ち着いてはいられなかった。マディマに留まる婦人たちの中には、金切り声を上げる者までいた。そんな時、アンサール(元々のマディナ住民で預言者さまの遷都を受け入れ協力した人々)の一婦人が、父親、兄弟、夫、息子を探しに戦場跡にやって来たものの、実は皆戦死していたのである。生き残った者が、その婦人をそれら遺骸の所に案内したのであるが、婦人は、「預言者さまについては如何ですか。」と聞くのであった。目の前の右手の方が預言者さまですと伝えると、婦人は預言者さまの前に進み出て、着衣を掴み、「アッラーの御使いさま、私にとっては父母よりもあなた様が大事です。」と、そして、「アッラーの御使いさま、あなたさえご無事であれば、悲しみはとるにたりません」と、驚くべき言葉が発せられたのである。横たわっている父親、兄弟、夫、息子の遺骸を前にしながらも、預言者さまの無事にこそ心を配り、預言者さまを最も愛していればこそ、着衣を掴み、「アッラーの御使いさま、私にとっては父母よりもあなた様が大事です」と、言ったのである。 更に、預言者ムハムマド(祝福と平安を)を心から愛する人について語ろうではないか。クバイブ・イブン・アディイ師が、不信仰者たちに捕らえられ、処刑の為にハラム(現在の聖マスジド)に引っ張り出された時のことである。2ラカアの礼拝をする時間を求め、短く2ラカアの礼拝を済ませ、そして述べたそうである。あなた方が、私が死を恐れていると思わなかったならば、礼拝にもっと長い時間をかけたのだが、けれども、私について何を考えているか分かっているので、短く礼拝を済ませることにしたのだ。更に付け加え、アッラーよ、私の前に見えるのは敵の顔ばかりで、御使いに私からの言付けを伝えてもらうにしても使いの者は見当たりません。アッラーよ、どうか私の別れの挨拶を御使いにお届け下さるようお願いします。それで、天使ジブリールがアッラーの御使い(祝福と平安を)の許へやって来て、その挨拶を伝えたのである。クバイブ師の処刑を前に、不信仰者たちが、今のお前の場所にムハムマドが居れば、お前は自由になるとは考えないのかと尋ねると、クバイブ師はアッラーの御使いへの愛に満ちた気持ちで、全能のアッラーに誓って、私の命の代わりに御使いの足に僅かな棘でも刺さることを望みむことはあり得ないと答えたと言う。 預言者さま(祝福と平安を)について、次のような話も伝わっている。「審判の日は一体何時来るのですか。」と或る男が尋ねたのに対して、預言者さま(祝福と平安を)は、「それが分かったとして、どんな備えをするのかね。」と質問された。男は、「アッラーとアッラーの御使いの為に最後に抱く愛を除けば、日頃行っている以外の特別な事は何もありません。」と答えた。すると預言者さま(祝福と平安を)は、「それならば、審判の日には、あなたが愛する者(預言者さま)と共にあるでしょう。」と、答えられた。また、預言者さま(祝福と平安を)のムアッジン(アザーンを唱える役目の者)のビラールが死の床にあった時、妻が、「ワハッザナ」と深い悲しみの言葉を漏らすと、ビラールは、「明日にも愛する預言者ムハムマドと立派な教友たちに会えるのであるから、悲しむではない。」と言ったという。アッラーよ、愛する預言者さま(祝福と平安を)への私の愛の心を高め、楽園において預言者さま(祝福と平安を)に近い高位を御授け下さい。 アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。 アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。 アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。 アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。 アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。 アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

八つの善い行い

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

慈悲深く慈愛に満ちたアッラーの御名において、あらゆる称賛と感謝は主であられるアッラーのもの。偶像崇拝者が酷く嫌ってもあらゆる宗教を越えて真の導きと宗教を布教されたアッラーの御使い(祝福と平安を)を遣わされた御方であられる。 本日のホトバは、男女のムスリム皆に向けての少しの善い行いについてである。その善い行いとはアッラーの思し召しにより、悪事が赦され、墓での責め苦から加護され、天国で家を持ち、必要とするものに出会い、困苦を払い去る等の報酬や価値を伴うことで知られている八つの事柄である。それらの全部を行ったとしても、1日に60分足らずの時間を要するだけである。 第1: 義務の礼拝に伴う合計12ラカートの任意の礼拝、即ちファジュル礼拝の前の2ラカート、ズフール礼拝の前の4ラカートと後の2ラカート、マグリブ礼拝の後の2ラカート及びイシャー礼拝の後の2ラカートである。 ・ 意義:これらの12ラカートを継続する者の為にアッラーは、天国に家を御用意下される。 ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「任意の礼拝を1日に12ラカート行う者は誰でも、天国に家を建てて頂けるだろう。」 第2: 真夜中の2ラカートの礼拝 ・ 意義:願い事が叶い、悪事が許され、必要とするものに出会う ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「夜ごとにアッラーは、夜半を過ぎると天界の一番低いところへ降りてこられ、『私の為に礼拝する者の願いを叶え、私に求めるものを与え、私に赦しを請う者を赦してやろうではないか。』とおっしゃる。」 第3: 2ラカート、4ラカートないし8ラカートのドーハの礼拝(午前の任意の礼拝) ・ 意義:身体の全ての骨に対する慈善行為 ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「午前中に、あなた方各々の身体の骨一つ一つに慈善行為が課せられている(午前の礼拝の意義かそこにあり、その実践があって、人間の骨の一つ一つは病気を免れて十分に機能し形態も保たれるとされる。)。アッラーの栄光を讃える言葉の一つ一つが慈善行為である。アッラーを讃美する一つ一つの言葉が慈善行為である。アッラーの唯一性を告白する言葉の一つ一つが慈善行為である。『アッラーは偉大なり』と唱える言葉の一つ一つが慈善行為である。善行を命ずることも慈善行為である。アッラーが否認されたことを禁止するのも慈善行為である。故に、それらの言葉を唱えて午前の礼拝とし2ラカートを行えば十分であろう(つまり、礼拝は身体のすべての器官を使用して行われるからであり、イスラームの慈善行為とは財貨の消費のみを意味するものではない。それは、信者のアッラーへの強い敬慕の思いや献身であるし、悪い行為を憎むのもイスラームでは慈善行為となる。)。」 第4: 聖クルアーンの「大権章」を読むこと ・ 意義:墓での責め苦からの加護 ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「聖クルアーンの30節からなる章が、人を赦されるまで仲裁したが、それは大権章のことである。」 第5: 「アッラーの他に神はなく、唯一者にして比べるべきものはなく、主権はその御方にあり、讃美すべきはその御方のみであって全能であられる。」を唱えること ・ 意義:10人の奴隷を解放するに等しい報酬があり、そして100の善行を行ったと記録され、100の過ちの記録が抹消される。 ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「次の言葉、即ち『アッラーの他に神はなく、唯一者にして比べるべきものはいなく、主権はその御方にあり、讃美すべきはその御方のみであって全能であられる。」を、毎日百回唱える者には10人の奴隷を解放するに等しい報酬が約束される。そして100の善行と記録されると共に、100の誤まちが彼に関わる記録簿から消される。また、この言葉は、その日の夜まで、シャイターン(悪魔)からのお守りとなる。誰もこれより善いものを、100回以上も多く唱え善を行なってこれ以上のことをする者を除けば、復活の日に持って行ける者はいない。」 第6: 預言者ムハムマド(祝福と平安を)の為の100回の挨拶 ・ 意義:窮状からの解放と、アッラーが挨拶をして下さる ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「私に対して1回の挨拶をする者には、アッラーは10回の挨拶をして下される。」「その場で私が誰であるのか(預言者ムハムマドであること)が語られているのに、私に対し挨拶しない人は出し惜しみする人である。」 第7: アッラーを讃える言葉を唱える ・ 意義:100本のナツメヤシが天国で植えられる。 ・ 根拠:預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「アッラーを讃える言葉を誰かが言えば、一本のナツメヤシが楽園で植えられる。」 第8: アッラーへの悔悟の言葉を100回唱える ・ 意義:アッラーは困難から救って下され、また徳を増やして下される ・ 預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「アッラーへの悔悟の言葉を常々唱える者を、アッラーは困窮から救い出して下される。またその者が想像もしないところから徳を与えて下される。」 アッラーは、クルアーン・ヌーフ章において次のように述べておられる。 「私は言いました。『あなた方の主の御赦しを願いなさい。誠、その御方は度々御赦しなされる。」「その御方は、あなた方の上に豊かな雨を降らせられ、」「あなた方の財産やお子たちを増やされ、またあなた方の為に、様々な園や河川を設けられる。」(71章 10—12節) アッラーよ、我々を御導き下され、我々の最後の願いがあなた様への賛美でありますように。 アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。 アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。 アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。 アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。 アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。 アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

良い行いと預言者さま(祝福と平安を)を真似ること

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛は、慈愛に溢れ慈悲深いアッラーのもの。アッラーの御使い、その一家と教友たちに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、イスラームが求める到達点とは、人類に対してアッラーが示しておられる正しい道を極めることであり、人間相互の間の人としての正しい道の確立と実践である。 アッラーは、クルアーン・婦人章において次のように述べておられる。 “アッラーに仕えなさい。何ものをもアッラーに併置してはならない。父母に親切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道連れの仲間や旅人、及びお前たちの右手が所有する者に。アッラーは、高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。」(4章36節) 良い行いは、アッラーから課されている人としての義務と、人間相互間の義務を果たす為の基礎である。良い行いは、アッラーの御目にとって位階を一段高めて下され、悪事を拭い消して下される為の要素になるものである。アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)が次のように語るのを聞いたと述べている。「信仰心の篤い者は、自分の良い行いによって、任意の断食斎戒を沢山行い、夜半の任意の礼拝を行う者が得る報酬と同等のものを得る。」「良い行い以上に、審判の日にアッラーのしもべの秤をより重くするものは無い。誠、アッラーは行いに欠けた者を御好みではない。」   善良な人も悪意に満ちた人も、良い行いから利益を得るが、一方信仰しない者にとっては、その者の良い行いは現世だけでの利益となるに過ぎないだろう。 アッラーはその者に現世でのみ良い行いに対する報酬を与えられるが、彼は終末の日には何も得られない。アイシャさま(平安を)は、次のように述べている。「『アッラーの御使いさまよ! アブドゥッラー・ビン・ジャダーンについてどうお考えですか。彼は来訪者をもてなし、貧な 者の世話をし、困っている人々を助けています。』預言者さま(祝福と平安を)はお答えになった。『残念ながら、彼は信者では無いから、一度として自分が犯した悪事について最後の審判の日に御赦し下さる様に主に願ったことは無かった。』」 アッラーは、クルアーン・家畜章において次のように述べておられる。 “…また、公然とでも、隠れてでも醜いことに近付いてはならない。…」(6章 151節)預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「良い行いを続けてきた者の為に、私は天国の最上の安息所を保証する者である。」  アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)が次のように語られたと述べている。「親切が人の良い行いを飾らずにはおか ないものです。親切に欠けたものは、その行いを台無しにしてしまいます。」  善良(ビッル) と悪徳(イスム)について預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる「ナッワ ース・ビン・サムアーヌ・アンサーリーは次のように伝えている。私はアッラーの使徒に善良(ビッル)と悪徳(イスム)について尋ねました。すると次のように答えられました。善良(ビ ッル)とは親切で思いやりのある心に宿っているものです。そして悪徳(イスム)とはあなたの胸を疑惑と罪の意識による恐怖でかきみだすもので、どうしても他人にはそれを知られまいとするものです。」 良い行いは、人々や他の集団を幸福にします。良い行いは、アッラーの御目にとって向上と高い 位階を暗示するに足るものです。良い行いは、他の者たちによって愛される原因の一つです。良い行いは、心に安心を、物事に容易さを、そして人々の称賛を勝ち取り、その結果は終末の日に おける成功を意味します。それに対して、悪い行いは、呪いを生み、幸福を台無しにし、人々の憎しみを生み、墓では闇を作り、現世でも来世でも不幸を生む。 信者たちよ、立派な性質を持った正しい先人と競いなさい。アッラーはその事を御言葉をもって明確にしておられ、即ち、クルアーン・勝利章において次のように述べておられる。 “ムハムマドは、アッラーの使徒である。彼と共にいる者は不信心の者に対しては強く、挫けず、お互いの間では優しく親切である。お前は、彼らがルクウしサジダして、アッラーからの恩恵と御満悦を求めるのを見るだろう。…」(48章 29節) 教友たちの誰も(平安を)が、立派な性質を持ち、互いに良い交友関係にあり、自分にとって重要ではない事柄に心を引かれることなどない、自分たちの集団の中にあってそうした一人であった。 それはそうとして、高貴な性質とあらゆる立派な特性についての基準となる特筆すべき例があるとすれば、それはアッラーの御使い(祝福と平安を)の存在と、その振る舞いである。アッラーは、その事が確かな事であるとして、クルアーン・部族連合章において次のように述べておられる。“誠、アッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(33章主、アッラーは、最良の可能な方法をもって御使い(祝福と平安を)を清め、それで御使い(祝 福と平安を)は、徐々に社会を変える為の影響を自らの社会に及ぼし、社会の一人一人には立派な性質を持つ為の教えを植え付けられた。この事について、預言者さま(祝福と平安を)は、「私は、完全に良い指揮を行うようにと遣わされただけである。」と述べておられる。アッラーは、自らの御使いを大いに褒め称え、クルアーン・筆章において次のように述べておられる。 「誠、あなたは崇高な特性を備えている。」(68章 4節) アイシャさま(平安を)は、預言者さま(祝福と平安を)の性質について聞かれ、「クルアーンが、預言者さま(祝福と平安を)の性質に当てはまります。」と述べている。 信者たちよ、何はともあれ、信仰にしっかりと密着し、アッラーがあなたたちに可能となされる限り最大限に預言者さま(祝福と平安を)の教えを守り、良い導きをお手本とし、預言者さま(祝福と平安を)を真似ようとしなさい。教えの一部たりとも変えることなく、心から預言者さま(祝福と平安を)の道とスンナに従いなさい。アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において次のように述べておられる。 「言ってやるがいい。『あなた方がもしアッラーを敬愛するならば、私に従いなさい。そうすればアッラーもあなた方を愛され、あなた方の罪を赦される。アッラーは、寛容にして慈悲深くあられる。』」(3章 31節)

イスラームと正直であること

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛は、慈愛溢れるアッラーのもの。御使い、その一家と教友たちに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーの命令を守り続けなさい。アッラーが禁止される事柄を遠ざけなさい。なぜなら、アッラーへの畏れはあらゆる良いことへの入り口であるから。アッラーの御前に在って、しもべである人間の価値は、自らの信仰と良い行い次第で決まる。財産や強さにより決まるものではない。 アッラーは、クルアーン・サバア章において次のように述べておられる。 「お前たちをわれに最も近付けるものは、財産でも子女でもない。信仰して善行に勤しむ者は、その行いの倍の報酬を与えられ、高い住まいが保証される。」(34章 37節) 正直であることは、健全な心を持った者によってのみ保持される立派な性質である。 アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。 「お前たち信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、誠実な者と一緒にいなさい。」(9章 119節) 預言者さま(祝福と平安を)は、正直と言うことについて次のように述べておられる。「正直は善行に導き、善行は天国へと導く。そして本当に真実を語る者は正直者として記録される。また嘘はよこしまへと導き、よこしまは地獄へと導く。そして誠に、嘘を付く者は嘘付きとして記録される。」 アッラーは、正直であることに対して現世と来世での大きな報酬を約束しておられる。現世でアッラーは、正直である者には、よこしまなものや災難から加護される良い立場を与えて下される。預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「確かでないものから遠ざかり、確かなものを採用しなさい。正直であることには安心があり、偽りには曖昧さがつきまとう。」 正直に対する来世における報酬は、アッラーの御悦びであり、楽園における高い位階である。そこにおける喜び様については、見たり、聞いたり、想像してみたりすることは出来得ない。アッラーは、クルアーン・食卓章において次のように述べておられる。 「アッラーは仰せられよう。『これは彼ら正直者が正直ゆえに得する日である。彼らには川が下を流れる楽園があり、永遠にその中に住むであろう。』 アッラーは彼らを喜ばれ、彼らもまたその御方に満悦する。それは大願の成就である。」(5章 119節) 信者たちよ、正直であることとは、言葉においても行いにおいても偽りが無い事を意味している。それはまた、アッラーとアッラーの御使いの教えを正しく、嘘の無いように人々に伝える事をも意味している。 アッラーは、クルアーン・集団章において次のように述べておられる。 「だが、真理をもたらす者またそれを確認(し支持)する者、これらは正義を行う者である。」(39章 33節) 預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。「誠の信者は、話をするなら真実を語り、知識を受けるときにはそれを信じる。」 裏切りや騙すことをしない様に遠ざかっている事も正直の一部である。嘘のなかでも最も邪悪な嘘は、アッラーに係わる嘘であり、次いで邪悪な嘘は、イスラームに関する嘘である。 アッラーは、クルアーン・預言者章において次のように述べておられる。 「われは只、万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。」(21章 107節) イスラームは、公正と正義、親切を基礎とした宗教である。 アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において次のように述べておられる。 「誠、アッラーは、公正と善行、そして近親に対する贈与を命じ、またあらゆる醜い行いと邪悪、そして違反を禁じられる。…」(16章 90節) イスラームは、信頼と正直に基礎を置いた宗教である。 アッラーは、クルアーン・婦人章において次のように述べておられる。 「誠、アッラーはお前たちが信託されたものを、元の所有者に返還することを命じられる。また、人を裁くときには公正に裁くことを命じられる。…」(4章 58節) イスラームは、善いことを命じ、邪悪で有害なものを禁じる、まっとうな宗教である。 アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。 アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。 アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。 アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。 アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。 アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

定命と忍耐

Nov 22, 2025 · H. Maqsood Ahmed

あらゆる称賛は、慈愛溢れるアッラーのもの。御使い、その一家と教友たちに祝福と平安がありますように。 信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーを心から畏れる事で、祝福が増し、苦悩が取り除かれるのであるから。アッラーは、前もって創造物の運命を定められた。影響力や行為は記録され、生計、財産については各々に分配され、生と死についは定まっている。その上でアッラーは、実際のところ創造物が最良であるように浄化なさる。アッラーからの定命を心から受け入れなさい。定命はあらかじめの定めであり、信仰の柱の一つではないか。アッラーの御意志無くして、この宇宙では何事も起こらないのである。現世というのは、災難と悲嘆に溢れており、そのように運命づけられている。試練と災難は寒さや暑さの様に逃れ得ないものである。 アッラーは、クルアーン・雌牛章において次のように述べておられる。 「われは、恐れや飢え、それと共に財産や生命、果実(労苦の結果)の損失を通じて、きっとお前たちを試みる。だが堪え忍ぶ者には吉報を伝えなさい。」(2章 155節) 運命とは、誠実な者が不実な者からそれによって識別される一種の試験のようなものである。 アッラーは、クルアーン・蜘蛛章において次のように述べておられる。 「人々は、『私は信じます。』と言いさえすれば、試されずに放って置かれると考えるのか。」(29章 2節) 人間の魂は、試練を経ずして純なものにはならず、誠実な人と言われる者は災難をくぐってきた者である。 アッラーは、クルアーン・高壁章において次のように述べておられる。 「…われは繁栄と逆境で彼らを試みた。きっと彼らは(アッラーの許に)戻ってくるだろう。」(7章 158節) 信者たちよ、時に好ましくない人が良さそうな結果を得るものであるが、うわべは好ましいけど、不幸で忌まわしい結末として反転するものである。アッラーは、クルアーン・雌牛章において次のように述べておられる。 「…自分たちにとって善いことをお前たちは嫌うかも知れない。また自分たちの為に悪いことを好むかも知れない。お前たちが気付かなくてもアッラーは御存知であられる。」(2章 216節) 災難に襲われる前に、災難に襲われるかも知れないと心得て心に準備をしておきなさい。災難には自ずと限度があるのであるから、災難に遭ってくよくよするではない。困難な時に発する言葉に用心しなさい。なぜなら、言葉によってはそれを発した者が破滅に導かれるかも知れないからである。信心深いムスリムは災難に遭ってもしっかりと立ち、心が変わることなく、不平を述べることはない。困難に遭う者の報酬は、その困難の二倍のものであり、アッラーは彼らと共に有られ、困難を取り除かれ、彼らに勝利を得さしめるのであるから安心しなさい。困難に遭う者よ、主は、安心を用意することなく試されることは無いし、浄化させようとする事無く災難に遭わす事はなさらない。誠の試練とは位階を上げるとか悪事を拭い消すとかの為のものであり、主は、困難を通じてしもべたちを祝福なさろうとして試練を課せられるのである。「サアド・ビン・ワッカスが、『預言者さまよ、皆の中で一番困難に遭うのは誰ですか。』と問うと、預言者さまは答えられた。『預言者であり、次は誠実な信者、殆どそれに近い信者たち、そしてそれに近い信者たちです。人はその信仰心の篤さに応じて試練が課せられ、宗教上敬虔な人は厳しい試練が課せられ、信仰心が弱い人はそこそこの試練が課せられる。信仰心篤い者は、現世で悪事を起こさずに歩めるようになるまで試練が課せられ、その者が受ける一連の困難に耐える事を通して悪事が拭い消されるのである。』」  あなた方の期待の全てを全能の主の許に置きなさい。謙遜な心で主を避難の場所としなさい。主はあなたの為に自らの慈悲の扉を開いておられるのである。何時でも預言者ユーヌス(平安を)の祈願を唱えなさい。 アッラーは、クルアーン・預言者章において次のように述べておられる。 「…暗闇の中で、『あなたの外に神はありません。あなたの栄光を讃えます。本当に私は不義の輩でした。』と叫んだ。」(21章 87節) 物事を選択し采配する能力はアッラーだけにあり、運命づけられた事を防ぐことは誰も出来ないのである。常に神を心に念じている者に幸福があるのであるから、常にアッラーを畏れなさい。信者の敬神の念を示す三つのものがある。それは、アッラーへの信頼、現実に対する満足、不足に対する忍耐である。 アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。 アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。 アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。 アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。 アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。 アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

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